2019.04.02(火)

<研究成果>クモ糸を超えるミノムシの糸

強さの秘密を科学的に解明(農研機構・豊田工業大学)

優れた構造材料となるシルクが持つべき構造とは

    農研機構は昨年、民間企業と共にミノムシの糸を真っ直ぐ長く連続的に採糸することに成功したことを発表した。ミノムシの糸は天然繊維で最強と言われてきたクモの糸よりも 弾性率1)、破断強度2) 、および タフネス3 ) の全てにおいて上回ることから、新たな工業用繊維としての利用が期待されている。
   今回、農研機構と豊田工業大学はミノムシの糸の強さの秘密を探るため、ミノムシの糸の成分であるタンパク質の 1次構造4) 2次構造5) 高次構造 6) を詳しく調べた。その結果、ミノムシの糸の強さが、高度に形成された秩序性 階層構造7) に起因することが明らかになった。
<概要>
   昨年12月に農研機構と興和(株)は、ミノムシの糸が世界最強と言われているクモの糸よりも、弾性率、破断強度、およびタフネスの全てで上回ることを発見した。さらにミノムシの習性を利用して1本の長い糸を真っ直ぐに採糸する方法を開発し、産業上の有用性を発表した。
   今回、農研機構と豊田工業大学は、ミノムシの糸の成分であるタンパク質の1次構造(アミノ酸配列)や2次構造(コンホメーション)、高次構造(結晶構造やその凝集状態)を詳しく調べ、ミノムシの糸の強さの秘密を探った。
   その結果、ミノムシの糸は結晶領域と非晶領域が周期的に繰り返した秩序性階層構造から成りその秩序性はカイコやクモの糸に比べ、圧倒的に高いことが分かった。さらにこの高い秩序性階層構造はシルクタンパク質の アミノ酸配列の特徴8) によって形作られることを明らかにした。この高度な秩序性階層構造により、引っ張った時に糸に働く応力が個々の結晶にまんべんなく分散し応力が糸全体に効率良く伝搬されることで、他のシルクに比べ高い弾性率、すなわち硬い性質を発現することが分かった。
   さらに放射光施設(SPring-8)の 高輝度X線9) を利用し、繊維の延伸過程で生じる構造変化を調べたところ、ミノムシの糸の高秩序性階層構造は、糸が伸ばされる過程でも崩れることなく、糸の切断まで維持されることが分かった。この延伸される過程で崩れることのない高度な秩序性階層構造が、ミノムシ糸の高破断強度•高タフネスな性質を与えていることを明らかにした。
   ミノムシ糸の強さのメカニズムが解明されたことにより、民間企業が目指すミノムシ糸の産業化が、今後一層進むことが期待される。 研究内容の詳細は、国際科学雑誌「Nature Communications」(2019年4月1日発行))のオンライン版に掲載された。
<関連情報>
   予算:運営費交付金、地球規模課題対応国際科学技術協力プログラム(SATREPS)国立研究開発法人 科学技術振興機構(JST)/独立行政法人 国際協力機構(JICA)
   問い合わせ先は研究推進責任者 : 農研機構 生物機能利用研究部門 部門長 吉永優、研究担当者 : 同 新産業開拓研究領域 新素材開発ユニット 亀田恒徳、吉岡太陽、広報担当者 : 広報プランナー 高木英典まで)。
 
<詳細情報>
開発の社会的背景
   ①ミノムシの糸を産業利用しようとする試みはすでに始まっている。2018年12月5日に興和(株)より記者発表が行われたとおり、ミノムシ(オオミノガの幼虫)の糸を繊維強化プラスチックの強化繊維などとして産業化を目指す動きはすでに始まっている。
   ミノムシの糸は、環境に優しく、持続可能社会に適した素材として注目されている。持続可能な成長社会実現のために、石油に頼らないバイオ素材の生産に注目が集まっている(炭素循環型社会の実現、ものづくりにおけるバイオプロセスへの転換による石油依存からの脱却)。タンパク質の繊維は、生物機能を利用した工業生産が可能であり、かつ、タンパク質は地中で分解することから、生産工程、生産物ともに環境に優しい素材として注目されている。タンパク質の繊維には羊毛、羽毛、シルクなどがあるが、(クモ、ミノムシの糸を含む)シルクは、天然繊維の中で唯一の長繊維だ。
   クモの糸を工業生産しようとする試みは世界中で盛んに行われている。シルクの中でもクモ糸は、「強く」て「伸びる」究極の繊維として、これからの繊維が目指す目標の1つとされている。生きたクモから直接採糸することは実験室レベルでは成功しているが、クモは共食いをするため量産化が難しいという問題がある。そこでクモの糸を構成しているタンパク質と類似のタンパク質を人工的に合成し繊維化することで、人工クモ糸として量産化しようとする試みが世界中で進められている。昆虫機能を利用し、環境に負荷を与えない生産体制は、省エネの観点からも低炭素社会実現に貢献できる。クモ糸の人工合成は、日本を含め米国、ドイツ、イスラエル、スウェーデンなど、世界中で研究が進められている。
<研究の経緯>
   農研機構の研究ユニットでは、カイコ以外のシルクを作る昆虫(絹糸<けんし>昆虫)の探索、および既に知られてはいるが産業利用されていない昆虫由来シルクの利用法の開発を行っている(未知•未利用シルクの利用化研究)。この未知•未利用シルクの利用化研究では、国内外の絹糸昆虫が作るシルクを幅広く研究対象としており、JICA/JST 地球規模課題対応国際科学技術協力プログラム(SATREPS)の支援を受けて行われている。この未知•未利用シルクの利用化研究には、より優れたシルクの探索に加え、様々なシルクの機能や力学特性とその構造との因果関係の解明をとおして、近年注目を集めている「強い人工シルク創出」に向けての1次構造の設計指標を明確にする側面も有しており、本研究もこの研究の一部として行われた。
   農研機構はこれまでに、ミノムシの糸は世界最強と言われているクモの糸よりも、弾性率、破断強度、およびタフネスの全てにおいて上回ることを明らかにしてきた( 表1 )。さらに長繊維であるミノムシの糸を長い状態のまま採集する方法を見出し、ミノムシ糸の産業利用への扉を開くことに成功してきた。既に日本の民間企業が当該手法をベースにした糸生産の応用技術を開発し、ミノムシ糸の製品化を目指している。またこの「真っ直ぐ長く糸を取る方法」を開発したことで、質の高いX線データを取得することができ、本研究の成功に繋がった。
<研究の内容•意義>
   ミノムシの糸の階層構造を解明した。ミノムシの糸を構成するタンパク質(シルクフィブロイン)の1次構造(アミノ酸配列)、2次構造(コンホメーション)、さらに高次構造である結晶構造や結晶と非晶の凝集状態に至る幅広い階層構造を解明した。その結果、他のシルクと比べて、ミノムシの糸は、圧倒的に高い秩序性を有する階層構造から成ることが分かった。
   ①1次構造については、ミノムシの糸を構成するタンパク質(シルクフィブロイン)を分泌する腺(絹糸腺)に存在するフィブロイン遺伝子の塩基配列を調べることで、フィブロインの特徴的なアミノ酸繰り返し配列(1次構造)を決定した。
   •ミノムシのフィブロインを構成するアミノ酸としては、グリシン(Gly)とアラニン(Ala)が占める割合が多く、それぞれがほぼ等しく約40%を占めていることを明らかにした。
   •Alaが20~22残基連続する部分(アラニン連鎖領域)と、Gly-Ala (AlaがSerなどになる場合もある)やGly-Gly-Ala(AlaがTyrなどになる場合もある)が繰り返される部分(アラニン'非'連鎖領域)とから成ることを明らかにした。
   2次構造、結晶構造については、ミノムシ糸のX線回折測定より、フィブロインの2次構造としては分子鎖が伸びたβストランドというコンホメーションを形成し、それらが互いに集合してβシート構造から成る結晶を形成していることが分かった。結晶を形成していない非晶も存在し、結晶と非晶が繊維方向に沿って周期的に配列していることも分かった( 図1 )。ミノムシの糸はカイコやクモのシルクに比べはるかに規則的なアミノ酸特徴配列を取っており、それが、秩序だった結晶と非晶の周期構造形成に寄与していることを明らかにした( 図1 )
   ミノムシの糸が優れた物性を発揮する機構を解明した。糸束を引張り切断に至るまでの構造変化を、放射光施設 SPring-8 (兵庫県播磨) の高輝度X線を利用した広角•小角X線散乱同時測定により調べた( 図2 )。その結果、繊維切断まで秩序性階層構造を維持していることが分かった。ミノムシの糸が強い理由は、規則的なアミノ酸配列に基づいたβシート結晶と非晶との他のシルクでは類のない高い秩序性階層構造により、繊維に加わる応力が個々の結晶にまんべんなく分散される機構であること、さらにその機構が繊維切断まで続くためであることを明らかにした。
<今後の予定•期待>
   ミノムシ糸の強さのメカニズムが明らかにされたことで、ミノムシの糸の産業利用への注目が一層高まると期待される。また、今回の成果は強い繊維を人工的に作る(例えばタンパク質合成や発酵、遺伝子組換え生物などによる生産)場合の設計指標となり、今後の目指すべき繊維の指針として活用されることが期待される。さらに昆虫が作る未知•未利用の糸を自然界から探索する研究にも役立ち、「生物機能を活用したモノづくり」による持続可能な成長社会の実現に貢献する。
<用語の解説>
{弾性率} 繊維の変形のしにくさを表す物性値。応力-ひずみ曲線の初期勾配の傾き(応力/ひずみ)で与えられ、バネ定数に相当する。ヤング率とも呼ばれ、値が高いほど硬いことを示す。
{破断強度} 繊維を破断させるために必要な引張り荷重または力を原断面積で除した値(応力)のこと。値が高い程、強いことを示す。
{タフネス} 応力ひずみ曲線の積分値で与えられ、繊維が破断するまでに吸収するエネルギーに相当する。丈夫さの指標として用いられ、値が高いほど粘り強く丈夫であることを示す。破断強度が高いことと、タフネスが高いことは意味が異なる。タフネスは変形を伴いながらどれだけエネルギーを吸収できるかを示すので、弱くてもよく伸びるゴムのような性質であれば値は高くなる。構造材料として求められる性質は、強さと伸びという一見相反する性質をバランス良く兼ね備えた材料であり、ミノムシの糸は有望な候補の一つと言える。
1次構造(アミノ酸配列)
   全てのシルクタンパク質は、最大20種類の異なるアミノ酸の組み合わせから作られており、その配列を1次構造あるいはアミノ酸配列と呼ぶ。配列は虫の種類毎に遺伝子で決まっており、近年、カイコシルクをはじめ、様々なクモや野蚕シルクのアミノ酸配列が解明され始めている。
2次構造(コンホメーション)
   一本のシルクタンパク質は、一本の紐に例えられる。紐が真っ直ぐであるのか、無秩序に絡まっているのか、螺旋を巻いているのか、あるいは一部のみ絡まっているのか、紐の取り得る状態(形状、コンホメーション)は無限であり、このコンホメーションを2次構造と呼ぶ。タンパク質が紐と異なる点は、取り得るコンホメーションがアミノ酸配列によって大きく制御される点にある。
高次構造(結晶構造やその凝集状態)
   タンパク質1本の組成や形状に関する1次構造や2次構造に対し、複数本のタンパク質が集合して造る構造を高次構造と呼ぶ。具体的には結晶構造(3次構造と呼ばれることもある)や、結晶同士あるいは結晶と非晶のつくる凝集状態を指す。
階層構造
   ミノムシの糸は1次構造(アミノ酸配列)から、2次、3次構造…へと、次第に立体的に複雑に組み合わされた構造(階層構造)を有している。
アミノ酸配列の特徴(特徴的アミノ酸繰返し配列)
   シルクタンパク質のアミノ酸配列は、ある特定のアミノ酸配列単位が頻繁に繰り返される特徴を有しており、この繰り返し配列がシルクの階層構造、しいては力学的な性質をつくりだしていると考えられている。
高輝度X線
   ミノムシ糸の強さの秘密を解明するにあたり、放射光施設SPring-8の高輝度X線の利用が不可欠でした。糸束を引っ張りながらその変形過程で生じる構造の変化を(結晶構造解析を得意とする)広角X線回折測定と(より大きな構造の解析を得意とする)小角X線散乱測定により同時に追跡することで、強さと構造との因果関係の解明に成功した。実験では繊維を引っ張り始めてから切断に至るまでの間、9秒間隔で測定を繰り返す必要があったが、一般的なX線装置の強度では、1回の測定に1時間以上を要するため、世界最高レベルの強度と平行性を兼ね備えたSPring-8の高輝度X線の利用なくしては実現されない測定であった。
<発表論文>
Taiyo YOSHIOKA, Takuya TSUBOTA, Kohji TASHIRO, Akiya JOURAKU, Tsunenori KAMEDA, "A Study of the Extraordinarily Strong and Tough Silk Produced by Bagworms"
Nature Communications, 2019, DOI: 10.1038/s41467-019-09350-3.
 
<参考図>
表1 各種シルクの一本糸の物性比較   

 

図1 カイコ・野蚕・クモの糸に比べ圧倒的に高い秩序性を有するミノムシ糸の階層構造

図2 延伸過程で生じる構造変化の追跡から明らかとなったミノムシ糸の均一性の高い応力分布とその高い保持力