時代変化業は今に始まったことではない

消費税率8%、憂いの道は険しいままだ!

2014.03.22


 牛丼チェーンの店舗で「人手不足でしばらく閉店」などという張り紙が出されているようだ。この真意はどこにあるかはさておいて、一つの景況変化の現れではなかろうか。昔から景気が悪くなると、丼物が良く売れると云われてきた。
 いささか私見を述べさせて頂くと、「丼物は一つの料理に集約されており、簡便性が高い」という表現心理が景気後退に微妙に影響し合い繋がっていると思われる。消費者の景況感も様々な表現がある。景気の上昇期は物事が好きか嫌いかで判断され、最も良い時は損か得かである。一方、景気の下降期は本物か偽物かで見られ、最悪期は善か悪かという価値判断が消費者にあるようだ。
 県内のラーメン店も12、3年前から雨後の筍の如く出店ラッシュが続いたが、ここ1、2年で完全に落ち着いてきた。昭和52、3年頃の喫茶店ブームと類似している。どちらもローコストオペレーションで、資本回転率がよかった。ラーメン店も「定食系」と「パフォーマンス系」に別れるが、著しい伸びを見せたのがこの「パフォーマンス系」だった。飲食サービス業は『時代変化業』とはよく云ったものだ。感心することしきりである。
 さて、ラーメンの話になったので少し触れておきたいことがある。今、最も日本で人気のあるメニューは「ラーメン」「カレーライス」「お寿司」である。このラーメンもいつ頃からあったかというと、明治の開国の頃、いや大正時代という人もある。中国や台湾では、日本のラーメンのことを日式拉麵とか日本拉麵と呼んでいる。
 日本で普及したラーメンは、中華麺とスープ、チャーシュー、メンマ、刻み葱、味付け玉子など様々な具を組み合わせた麺料理のことをいう。別名は中華そば、支那そば、南京そばと呼んでいる。明治の開国の頃、港に出現した中国人街(横浜、神戸、長崎、函館)に中華料理店が開店し、南京街とも呼ばれていた。
 大正時代になると、日本風に仕立てられ独自に発達し各地に広がり、カレーライスと並んだ国民食と呼ばれる人気の食べ物に成長した。ラーメンの丼の絵柄は、私たちにもさりげなく刷り込まれている。あの「雷文」「鳳凰」「龍」「双喜文」は、醤油ラーメンの典型の絵柄だ。ラーメン専門店、中華料理店、レストラン、屋台にいたるまで、どこにでもある絵柄の器だが、最近は懐かしい器(丼)になった気がする。
 ラーメンの歴史の一頁を飾るのは、東京ラーメンの草分けの「来々軒」だろう。明治43年(1910年)東京浅草の一丁目当たりにオープンした。尾崎貫一氏が横浜中華街から招いた中国人料理人12名を雇って開店したという。主なメニューはラーメン、ワンタン、シュウマイ。以来、大人気となる。昭和19年に一旦閉店となるが、20年に創業者の3代目が復員して八重洲口に新たにお店を構えた。以来、平成6年まで営業を続け、後継者がいないため閉店したと聞いている。
 同店に一度訪れたこともあるが、二十歳頃に浅草一丁目のその場所を探して歩いた懐かしい思い出もある。今、みなみらんぼうの「道程」を聞きながら、これからのホスピタリティ業の行く末を案じている。4月からの消費税率8%の引き上げは、どんな結果をもたらすのだろうか。憂いの道は険しいままだ。