「自然」「命」「動」がキーワードだ

 若者は新しいものを追いかけるよりも、むしろ自分を見つめ直す時代に入った。若者はこと毎に「先端」を追いかけるのに疲れを覚え始めている。その裏返しが「見つめ直す」ことに繋がっている。これが「トレンド疲れ症候群」などと騒がれ、あれから20年以上が過ぎる。当時、確かに六本木のディスコでは若いコが減り始めていた。ファッション同様、演劇などの分野でも新しい潮流が出て来なかった。
 経済面においても、証券市場はブラックマンデーで暗転したように、高揚していた消費市場が一気に「トレンド疲れ症候群」とでもいえる内向き状態に陥っていた。従来のような成長エネルギーに満ち溢れていた消費の「高揚」は、もう二度と訪れないかもしれないという空気が次第に充満して行った。ここからが「混迷の時代」の突入であった。
 「混迷の時代」は「不況の時代」の突入でもあった。これを最も証左していたのが紳士服の落ち込みだ。家計収入の担い手である男性から節約を始めたのが「不況」の本格化の始まりである。景気後退とバブルの清算というダブルショックは、そう簡単に乗り切れない日本経済になってしまったのだ。
 しかし、である。当時からこういう混迷の中から「本当の個性豊かで心を潤わせる消費市場が育つ可能性はある」と訴えていた人達もいた。ここ1、2年は安倍政権によるデフレからの脱却を目指した「アベノミクス」(3本の矢)で、都市部を中心に新しい経済のトレンドが生まれつつある。これも嬉しいことであるが、それより以前から地方の中山間部に従来では考えられないショップ群(パン•ケーキ、飲食店等)が全国各地で誕生して来ている。

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 実際に訪問して見て共通しているのは、「自然」と「命」と「動」を感じさせてくれることであった。これが20年以上前から予測されていた「個性豊かで心を潤わせる消費市場の兆候」ということではないだろうか。

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どこのお店に行っても決まった謳い文句と表現、そこに働く人々の表情、計算された商品やメニューに感動は覚えない。極端に言うと、老人のシワにその人生を想い、美しい風景、厳しい風土に生命を感じ、また様々な人間模様に喜怒哀楽を感じさせてくれるお店に人々は魅力を感じて来ているのだろう。
 若者が自分を見つめ直す時代から20年以上過ぎた。消費者の消費行動は、景気を基準に反応しながら変化していくものだ。以前にも触れたが、景気上昇期は好き•嫌い、好景気時期は損•得か、景気下降期は本物か•偽物か、不景気時期は善か•悪かに大きく分けられる。
 いままでの混迷した日本経済は病気だったと例えよう。大病した方がよく話されることは「病気を通して人生観が深まる。これは何か。自分自身が生きていることを見直し、自分のアイデンティティーを見つめ直すことであった」と。このことの意味を深く捉え、俯瞰的にいうと「日本文化の見直し、日本人を見直す」ことを示唆してくれたと思っている。

 「見つめ直し、見直す」ことは、新たな価値観が生まれる。島国の日本で生まれた「ひらがな」の強弱、左右バランスは見事なもの。この右に出る文字は世界にないだろう。バランスの最高のものは、草、木などの自然である。群生していても、枝一本でもバランスがとれている。自然の美(バランス)は越えられない。自然現象から生まれた「美」がバランスである。華道も茶道もそのバランスを追求している。師匠は「自然」にあるのだ。
 地方の中山間地域で見たショップ群。その魅力は「自然」「命」「動」がキーワードであった。死に体になりつつある街角ショップ(約8割)も、この3要素をどう取り入れるかが重要になって来ていると思われる。