ここ30年、お店の責任者は少なからず次の様なことをずっと求めてやって来たと思う。8点ほど挙げて見たい。当初はそれぞれの夢を描き、飲食店経営のあるべき姿、そして理想に向かって邁進されて来た。
 まずは①今週の部門別売れ筋ベストの品目は?死に筋は?②これから伸びる商品と死滅する商品は?③明日発注すべき品目と数量(適正在庫)は?④今後何を売り、何を扱うべきか(主力品種、単品)⑤どこのものを取り扱うべきか?(主力問屋、メーカー)⑥どのレベルを取り扱うべきか(ポピュラープライスゾーン)⑦どこの誰に売るか?(地区、客層)⑧どんな方法で売るか?(提供方法、陳列販促)。
 30年過ぎた結果が「いま」であり、今の有様である。要するに従来のマーケティングやマーチャンダイジング、あるいは体験だけでは乗り切れない状況を迎えている。ここに大正時代に書いた志賀直哉の小説「小僧の神様」の一編がある。秤やの小僧の仙吉と貴族院の男のどうのこうのではない。

 「寿司は四方を海に囲まれて新鮮な海の幸に恵まれた日本ならではの美味の食べ物である。四季折々の魚介類を銀シャリにのせ、ツンと頭の芯までしみるようなサビを楽しみながら食べる。
ガリを箸休めに食しつつ、あれこれとつまんだ後、なんとも気の利いたタイミングで熱いアガリが出て、「あぁ旨かった」と、腹の底にすしが納まるあの感じ。よくぞ日本に生まれけり…。

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 寿司は1818年から29年、文政期に江戸前握り寿司が成立したのが事の起こりである。現在の寿司とは似ても似つかぬものだったらしい。」
 さて志賀直哉が描いた小説のこの鮨屋の光景は、現在の寿司店や回転寿しにも見ることも出来るが、どうしてもその「印象」と「人情」の光景は伝わって来ない。勿論、他の飲食店においても同様で「人情」の光景どころか、「安さ」や「メニューのバラエティさ」に振り回されている。
 客側の来店動機や感性も様々だが、「外食」は婆娑羅の時代に入っていると言っても過言ではない。藻谷浩介氏の里山資本主義にも通じる、地方の中山間地域のショップ群の新しい兆候(自然、命、動)を前回触れさせて頂いたが、街中や郊外店においても新しい兆候の「自然」「命」「動」に加えて「人情」をどのように表現して行くかが、生き残って行く決め手になるのではないか。これからはどんどん人口が減少する時代を迎えるが故に言いたいのです。